今日のひまつぶし
これは、キモ・オタクがダイソーで二重(ふたえ)テープを買うだけのドキュメンタリーである。
最近追っかけ撮り鉄(公道最速伝説のCDをかけつつクルマで電車を追っかけて、何枚も写真を撮る異常行動のことです)をやらなくなったので平穏な日々を過ごしていました。
安心安全な暮らしはよいものですが、やはり何か足りません。そう、スリルです。
というわけで何か無いかなーと考えていたところ、高校からの友人(非常に早口で人と目を合わせて喋れない変人で当然工学部)から2年ぶりにLINE。普通この状況だったら良くてマルチ、最悪カルト宗教の勧誘なので開かないのですけど、彼がブックオフで新興宗教の出版物を収集している異常者ということが分かっていたので、安心してチャットを開きました。しかし彼からのLINEは予想だにしない内容だったために唖然としました。
彼は女装した自らの姿を撮影して私に送り付けていたのでした。
加工していた画像はそれなりに女子っぽかったんですけど、無修正の画像は、申し訳ないけどバケモンでした。彼に詳しく聞き取りを実施したところ、マッチングアプリでネカマをして男を釣っているという地獄のような返答が聞いてもないのに返ってきました。アイタタタタタタ。
彼はブロックしたのですけど、その後も彼の女装の事が頭から離れません。興味本位で色々聞いたのがダメみたいでした。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのこと。
ちょっとくらいなら、いいかな。
化粧品コーナーを物色している姿が、知り合いにバレたら社会的に終了というスリル、追っかけ撮り鉄開始5分前のドキドキと似たこの感覚に突き動かされ、気が付いたら私はダイソーの自動ドアの前に立っていました。
今回のターゲットは「二重(ふたえ)テープ」なる商品。私の目は一重でおまけに細いため一部からは遮光器土偶と呼ばれている。
さらに目つきも悪いので、坊主頭とかにすると印象は最悪だ。そこで今回は建前、言い訳として、第一印象の改善を目標として二重テープを購入することにした。まあ就活とか顔面の印象で決まるだろうし、多少はね。
てなわけでダイソーに突入。まずは店内の配置、従業員、客の様子の下見を入念に行う。心の中ではミッション・インポッシブルのトム・クルーズになったつもりであったが、オタク特有の早歩きでウロウロウロウロしていたので他人からは単なる変質者に思われていたかもしれない。だが、これも演技のうち。俺はかつて瀬戸市のトムさんと呼ばれた男、恥も外聞も任務遂行のためならかなぐり捨てることができるのだ。
ここで偵察中、休憩室の壁の向こうから若い男女の話し声とお弁当のにおいが漂ってきた。大学生のバイトだろうか。もし知り合いだったらかなりまずい。彼らがレジに入る前に清算しなければならない。更に平日昼というのに若い女性の客、更には現役JKまで店内にいるではないか。
鋼鉄の精神力を持つ私ではあるが、見ず知らずとはいえ若い女性に化粧品コーナーを物色している姿を見られるのは堪ったものではない。それどころか我々キモヲタは化粧品コーナーを見ているだけで通報される恐れがある。しかもよりによって化粧品コーナーは入り口すぐの最も目立つ場所に配置されていた。これは厳しい戦いになりそうだ。
客の様子を化粧品コーナーに隣接するマスクコーナーから観察。客が少なくなった一瞬の隙を突いて二重テープの元へ歩み寄る。
スマホのメモ帳を開き、おつかいで来ているというフリをしつつ二重テープを物色。埋没式、両面テープタイプ。イメージトレーニング通りの商品を発見してさっとカゴに追加。カムフラージュで購入したタオル掛けに二重テープを隠しつつ早歩きで離脱。店内をウロウロして尾行を撒き、おばちゃんのレジに突入。220円を支払い、中学生から使っているアディダスのリュックに商品をしまって退店。
Mission Completed.
(以下フィクション)
オタクキモスギ罪で通報を受けて駆け付けた2台のパトカー。警官は慌ただしくダ○ソーに突入するがそこにキモヲタの姿は無かった。残っていたのは、チラシの裏紙に卑猥な衣服がはだけて局部が今にも露わになりそうな痛々しいアニメキャラクターが印刷された犯行声明の紙切れただ一枚であった。
(妄想おわり)
帰り道でふと思ったんですけど、実店舗じゃなくて通販で買えばよくね??
◆実際の感想◆
最初は手間取ったので無駄に6枚も消費。しかも失敗作は二重の曲線がカクカクしてレトロゲームの粗いポリゴンのようになってしまいました。キモ。
頑張って貼った結果、二重になれました。嬉しかったです。コツは上手くいかないときは欲張ってデカすぎる二重を狙わず、まつ毛ギリギリに貼ることですね。
あと、人工二重はまじまじと見なければ分かりませんね。化粧って怖い。
てなわけで新年度からは研究室に配属され心機一転。最初から二重ということにして再大学デヴューしていく所存でございます。
私のような顔面偏差値-114514の生命体でも-115くらい(測ってないからわからないですけど)まで上昇できるはずなのでお試しあれ。就活もこれで行くとするかよ。
え、もう面接終わって内定出てるってマジですか――――――
――――――大学院入試編へ続く。
平成最後の夏、一泊3000円の超不衛生な宿に泊まった話
宿に着いたのはおよそ9時30分だった。宿に着くのはいつでもいいと言われたのでそれに甘えた。薄暗い建物の中にいる60代過ぎくらいの老人がここのオーナーらしい。建物の中に入ると、彼は僕の大荷物を見て、よく来た大変そうだな何処から来たんだちょっと来るのが遅い等々声をかけられジュースをいただいた。数十分ほど世間話に付き合ったのち、眠くなったので部屋へ連れていってもらうことにした。
どの部屋にも布団が敷いてあった、というより敷きっぱなしだった。 どの部屋でも良いと言われたので直感で選んだ2号室に入った。すると老人は「ここの部屋は今日掃除したばっかだべ」と言う。アタリの部屋を選んで良かったと一瞬思ってしまったが、え、もしかして毎日部屋を掃除していないということなのだろうか。そうでない、と信じることにした。
部屋に入るとまずカビのような臭いが鼻をついた。荷物を下ろして床を見ると縮れた毛が落ちている。布団に目を遣ると何本かの多種多様な毛が散らばっていた。そしてその布団、よく見るといくつかの染みがある。目を凝らして見ると殿方の軍事演習の際の射出物に見えなくもない。絶対掃除してねえだろうが!
ホームページによるとこの宿は送迎をしてくれるらしい。明日の朝は台風がやって来るのであまり自転車に乗りたくない。喜多方駅への送迎をお願いすることにした。老人の部屋をノックして入ると、パンツ一丁で熟女もののエロ本を傍に置いてNHKの天気予報を眺めていた。
「あの、明日台風が来るので喜多方へ送っていただきたいのですが」
「んあ?なんだっで?」
「明日喜多方駅まで送迎していただけますか」
「おめえ自転車があるでねーが、喜多方までなら行けんだろ?」
「いや、台風が来るとのことですし…」
この後も自転車は昨日見たぶんにはブレーキもちゃんと効いとるし動くんだから自力で行けとの一点張り。
なんだこのジジイ、ホームページと話が違えじゃねえか、てかおめえが面倒臭いだけだろこの野郎!
廊下を歩くとあちこち散乱するゴミが目に行く。飲み干した酒の缶、使いきった100均の電池、寿司の入っていたプラ容器、ゴミ袋いっぱいに詰まったちり紙。もはや民宿というよりゴミ屋敷宿泊体験場である。
その夜、宿のWi-Fiで「木造 家屋 倒壊」「喜多方 ハザードマップ」など調べつつ、布団に入った。どーでもいいけど、Wi-Fiの前にちゃんと掃除しろや。
次の日の朝、予定通り5時30分に起床し脱出。もう起きていたジジイに声をかけて民宿を出発。台風の中自転車を漕ぎ、パンツまでびしょびしょに濡れながら喜多方駅へ到着した。
その後も、荷物にカビ臭がこびりついてなかなか取れなかったり、もう一本貰っていたジュースの缶を拭くとえらくゴミがついていたり、例の民宿のダニに噛まれて右のふくらはぎが痒くなったりと散々であった。夕食のオプションを付けなかったのがせめてもの救いである。あとでレビューをネットで見ると星3.6/5。おいジジイ、自作自演するんじゃねえぞ!
平成最後の夏と言うのに、こんな汚ねえゴミ旅館が残存しているなんて、怒りを通り越して感服してしまいそうになる。
最後に一言。
た●だや!!新元号発表される前に潰れてしまえ!!
余談:次の日に泊まった宿、会津の里ユースホステルも3000円/一泊。だが、清潔で心地よく、近所の市営温泉(ガチのマジのローカル温泉なので客が超少ない)に入れて気分もリフレッシュできる。(宿泊料に温泉の利用料も入れてます)さらに酒屋さんが経営しているのでお酒も飲めて地酒のお土産も買えるという素晴らしい宿だった。貧乏人が会津に観光行く際はおすすめ。
田ノ浦公共臨港鉄道(門司港レトロ観光線)・廃線跡散策
先回のブログで書いた九州小旅行の道中、門司港レトロ観光線に乗りました。
門司港レトロ観光線はもともと田ノ浦公共臨港鉄道として貨物輸送を行っていた路線でしたが、2005年に廃止。その後2009年からは、北九州市が路線を買い取り、平成筑豊鉄道が車両の保有および運行を行う上下分離方式の観光路線として開業しました。(Wikipredia)
終点の関門海峡めかり駅にはEF30の廃車体とウェイが海の幸を焼いて騒いでる怖い(当社調べ)建物くらいしかありません。 海を見ても雨のせいで3秒で飽きました。
このまま何もせず帰るわけにはいきません。なんせ500円も払ってここまで来たのですからね。
そこで観光線の先を見ると何やら不自然な空き地。ほぉ、なるほど。「それ」である可能性が非常に高い。先へ進みます。
あっ、ありました。残骸が。
途中この看板が立っていました。注目すべきはここの用地の所有者が「JR西日本」であること。そう、ここは九州。不自然なんです。何故かは分かりません。
しばらく行くと茂みに覆われていたレールが露わに。おやおや、バラストが新しいですね。しかし廃線跡にしてはレールが綺麗すぎませんか。レール上面は錆が薄くなっています。現役の線路ですね。
土砂崩れの跡と思しきブルーシート。まだ真新しいのでおそらく平成30年7月西日本豪雨によるものと思われます。
踏切を発見。
さらに近づくとここの管理者は平成筑豊鉄道であることが分かります。おおっ!ここでこの踏切が現役である可能性が高いことが判明します。なぜなら先述の通り観光線の運行は平成筑豊鉄道が行っているからです。
あっ、見つけました、車庫です。まだ新しく整備がされていることから、おそらく現役で観光鉄道の車庫として使われていますね。しかしここで終わりという訳では無さそうなので先へ進みます。
ここの風景、見たことがあります。この特徴的な倉庫は政府の貯蔵倉庫だった施設。そしてその傍をDD51牽引の貨物列車が走っている1990年代ごろのフィルム写真をつい最近見た覚えがあるのです。ちなみに左手に見えるのは先ほどの車庫と思われる建造物。車が停めてあるので現役と判断して問題ないと思われます。
倉庫に近づくと再びレールを発見。
2線あることから、本線と機回し線が存在していたことが分かります。
倉庫は現役のようですね。現在の使われ方は分かりませんが、民間に払い下げられたのでしょうか。
この先倉庫敷地内でレールは途切れたと思われましたが、踏み切り跡が出現。
さらに進んだ先の歩道橋から俯瞰。
I君曰く、茂みに埋もれているこの場所はポイント跡ではないかとのこと。
突如現れたフェンスによって不自然に途切れたレール。しかし我々の目には見えるんですよ、「それ」の跡がね。
画面中央、レールが埋もれています。
あっ、ここにも。
残骸がいっぱい。
フェンスが途切れた先にはポイントの跡が。何線もあったんですね。結構立派な貨物駅だったのかも知れません。
鉱石系の貨物をここから積載していたのでしょうか。工場から貨物駅があったと思しき方向へ空中をコンベア(?)が走っていました。
さらに進むとPC枕木がトレーラーの輪留めになっていました。鉄道貨物輸送の衰退を象徴するかのようですね、切ない。
この先は我々の力ではレール跡を発見できず。というか雨の中歩いてきたので疲れました。はやくおうち帰りたい。
行きはよいよい、帰りはだりい。靴はずぶずぶ、風雨は冷たい。最近やらせ臭くなってしまった某BSローカル線旅番組と違い、無事帰れる保証はありません。I君と何故こんな所まで来てしまったのか、互いに罪をなすりつけあいながら関門海峡めかり駅へ向かいます。
観光線の最終便になんとか間に合いました。その後415系に乗って門司港を後にしました。疲れましたが、セメントタキの長編成を従えて貨物線を走るDD51を見れたので(幻覚)個人的には満足です。
青春18きっぷシーズン終盤 門司・小倉小旅行
ども、へにょろです。
ここ最近雨だとか曇りがやたら多く、まったく仕事(鉄道の写真を撮る仕事をしています)になりません。そこで鉄道の神へのお祈りを毎日続けておりますが、なかなか晴れません。先週のDD51迂回貨物は目も当てられないような惨状でありました。これは鉄道の神への信仰心が足りないせいだという結論に至ったため、北九州まで18きっぷ乗り鉄旅を敢行することといたしました。
まずは東広島から広島市街へ向かいます、がここが一番ハードルが高い。本来であれば山陽本線が使えますが、西日本豪雨の影響で9月8日まで使えず。そして何故か同区間には代行バスも存在せず。そこで一般国民の皆さんなら新幹線をお使いになられて広島市街へ行くのですが、小生貧乏な18きっぱーでして新幹線を利用するお金が微塵もございません。
そこで頼りになるのが広島大学と広島市街を結ぶJRバスのグリーンフェニックス。870円で広島市街に脱出することができるのです。終バスが早いのが玉にきずですが、そこはバイトをバス出発15分前に上がることで解決。ついでにバ先の廃棄のお米と唐揚げをリュックに詰めて朝食代を節約。あらやだ、あたしったら18きっぷ力高すぎ。
広島市街に到着後本日の宿探し。広島市街でゲストハウスを探しますが、どこもいっぱいor高い。ええい、ゲストハウス何ぞなよなよした軟弱者が泊まる宿に過ぎん!漢は黙って漫画喫茶ァ!!という訳で本日の宿は自遊空間広島本通り店に決定。学割を適用すればジュース飲み放題、合法的に電源Wi-Fi使い放題、猥褻動画見放題(見たとは言っていない)、シャワーも浴びられておおよそ¥1,300。寝床として使うだけならこれで十分。もうホテルに¥5,000以上払うのが馬鹿らしくなりますな。
9月8日、漫画喫茶を出発して広島駅へ。始発1501Mで岩国へ向かいます。
写真はテキトーに広島駅で撮った無関係な列車です。
続いて岩国で3311Mに乗り換え、柳井まで向かいます。おっと115系3000番台は初乗車。2ドアの車体が往年の急行型車両を彷彿とさせますな。さ~て乗り心地は…?
うわ、なにコレ…へたり過ぎてスッカスカやんけ!!この座席、客のケツをホールドするという使命感が伝わってきません。客の自重に甘んじるだけのあまちゃんであります。まあ最近の新造車の岩盤シートよりかはマシか。
しかもこの車両、シートがスカスカなだけでなく、虫の死骸やホコリが転がっているとか変なにおいがしてるとか弱冷車は生ぬるいとかJR酉日本の悪いところをぎゅっと詰め込んで結晶化したようなひでえ代物でありました。
柳井から下松までは代行バス、下松からは3371Mに乗車。途中で友人のI君(見ての通りオタクです)が乗車。
下関で415系に乗り換えていよいよ人生初、関門越え。デッドセクション通過。デッドセクションって響き良いですよね。
さらに列車を乗り換えてI君が浪人時代に通っていた予備校がある小倉へ。
聖地巡礼。
I君に超うまい天丼の店、東京庵に連れて行ってもらいました。
どえらいうまい。
どうでもいいんですが、浪人生って楽しみが「食」しかないんですよ。悲しい生き物ですね。浪人生は最も原始人に近い人種であると思います。
485系の生首で電車ごっこ。I君ご満悦。
かっこいい、かっこいいでござる!乗務員室や客室に乗れる博物館はなかなか珍しいのではないでしょうか。
寝台列車はいいですね。国鉄のにおいがムンムンします。復活しないかなあ。
詳しく書くのは面倒かつ他のブログのが詳しいのでググってください。
次は門司港レトロ観光線に乗車。もともとは田ノ浦公共臨港鉄道として貨物輸送を行っていた路線でしたが、2005年に廃止。その後2009年からは、北九州市が路線を買い取り、平成筑豊鉄道が車両の保有および運行を行う上下分離方式の観光路線として開業しました。(Wikiprediaより)
ディーゼル機関車のプッシュ・プル方式。客車は貨車(トラ)改造の2両。椅子はベンチ。クッションも何もない、板。台車もショボいので尻へ振動がダイレクトアタック。もはや115系のシートがとか新造車のシートが云々と文句を垂れることができないレベルであります。そんな貨車に我々ドブネズミ2匹が乗車。手回り品料金は適用できなかったもののまさに家畜輸送列車という風情です。
終着、関門海峡めかり駅に到着。写真は失念しました。
EF30とか旧客の保存車がありました。というかこれくらいしか目ぼしいものが駅周辺にはありません。
しかしここまで来るのに500円かかったので何か成果を残して帰りたいところ。
ここで線路の先を見ると茂みに覆われた不自然な空き地。おそらく「それ」ですね。長々と書いてしまったので詳しくはこちらの記事を参照。
さて、この後何となく下関に戻りI君を見送ったあと、再び小倉へ。九州大学に行っている高校の友人(彼のイニシャルもIなので部活から名前をとってミスター・ケンドー氏とでもしておく)の家に泊まるべく鹿児島本線に乗りましたが、今夜はだーめと言われてしまい途中遠賀川で引き返しました。
遠賀川にはレールチキがいました。ゴキブリみたいなDE10ですね。
小倉へ戻り今夜はゲストハウスに宿泊しました♨。宿泊費で財布の中身が蒸発してしまったため所持金が300円しかなく途方に暮れていましたが、宿で出会ったイタリア人男性にピザを奢ってもらうというファインプレーをキメて飢饉を回避しました。ご馳走様でした~。
ゲストハウスの壁。
翌日、始発の列車に乗って西条へ向かいます。
いい天気ですね(棒読み)。
西条行とか白市行表示が復活しています。ま、西条行きとかが消えている時の姿は見たことないのですが。
セノハチの土砂崩れ跡。
この後、下宿までのバスが無く仕方なく40分ほど雨の中歩きました。
あ~しんど。おうちが一番。